保育者の学びを考えるシンポジウム Part2 報告その1

2016年7月31日、大妻女子大学にて「保育者の学びを考えるシンポジウムvol.2」を開催させていただきました。
当日は、現職の保育者の方(若手、ミドルリーダー、園長それぞれ)、子育て支援や保育者支援に携わっておられる方、養成校の教員、と様々な立場の方がお越し下さいました。
それぞれに熱心にご参加くださいましたこと、まずは心より御礼申し上げます。

さて、当日のご報告第一弾をさせていただこうと思います。

保育の仕事は、

  • 絶え間なく実践が続く
  • 常に子どもと一緒にいる
  • 職員室に戻る暇がない
  • ホッとひと息つく暇がない
  • 実践を振り返る暇がなかなかない

という特殊な事情を抱えていると言えますが、それだからこそ、「振り返り」が必要ではないか、というのがその場にいた全員が共有している意見でした。

では、何をどのようにいつ振り返るのでしょうか?

保育者は、保育記録(1日の保育の流れ、子どもたちの活動の記録など)を書くことが多いですが、その中で、「私はどうしていたのか?」「子どもとの関わりの中で、私はどうだったのか?」という振り返りはなかなか難しいのが現状ではないでしょうか。

けれども、「子どもとの関わりにおける私のありよう」について振り返ることで、自らの保育観、子ども観について考えを深めることで、保育者としての専門性の深まりへと繋がっていくと考えられます。

養成校で実習の事後指導をする中で、実習生から出された教育的契機(一人の大人として、実習生として、子どもに向き合い、迷いながらも、その子どもにとって善いと思われるなんらかの判断を行った場面)についてクラス全体で事例へのリフレクションを行っています。当日はいくつか事例を挙げて参加者の皆さんと一緒に考えさせていただく機会をもったのですが、以下に「トイレに行きたくない女の子」について書かせていただこうと思います。事例を出してくれた学生は、小学校にボランティアに行き、主に発達に少し遅れがみられる2年生の女児(Y児)に付き添っていました。

<教育的契機>

Y児は自分でトイレに行くことが出来ないので、教師やボランティアによる介助(声かけ)が必要です。担任教師からいつものようにトイレに連れて行くように促されたので、Y児に「Yちゃん、トイレに行こう」と誘いました。その途端、それまで機嫌が良かったY児の顔色がみるみる変わり、急に泣き出しました。いつもなら自分から走ってトイレに行っていたので、私は大変驚きました。そこで、「なんで泣くの? トイレに行くだけでしょ」と声をかけました。ところが、声をかけられたY児は逆に大泣きしてしまい、あまりに大きな泣き声なので担任教師も驚いていました。あまりにも泣き続けるのでトイレに連れて行くのは止め、泣き続けるY児のそばに数分間いました。そして泣き止みかけたときに大好きなアンパンマンの絵本を渡すと笑顔が戻り、それをずっと見ていました。

<その後の展開>

その出来事が起きてから数日間は、トイレに行くよう声かけをするとY児はすぐに泣き出すようになってしまいました。そして、周りの子どもが「Yちゃん、泣きません!」と言うようになり、それを言われたY児はさらに泣き出してしまうようになりました。完全に悪循環へと陥ってしまいました。

<行為へのリフレクション>

そのとき本当にどうしたらよいのか分からず、Y児の機嫌を取る方法しか思い浮かびませんでした。ですが、「なんで泣くの? トイレ行くだけやろ」という声かけが間違っていたのではないかと感じています。

私にとっては「ただのトイレ」でも、Yちゃんにとってはトイレに行くことはとても大変なことなのかもしれないということに今になって気がつきました。もし違う声かけをしていたら、Yも泣き出さずに済んだかもしれず、その後トイレに行くことを嫌がることもなかったかも知れません。

学生はこのように自分なりのリフレクションをし、記述していました。この事例について、クラス全体でリフレクションを深めていきました。