保育者の学びを考えるシンポジウム Part2 報告その2

7月31日に表題のイベントを開催させていただいてから、早くも1ヶ月が経ちました。保育者にとっての「リフレクション」をテーマにしたものでしたが、みなさんの日々の実践に役立てていただくことはできましたでしょうか。

リフレクションをいつするか(するのが望ましいのか)、というのはそれほど簡単な議論ではありませんが、やはりある程度日常的に取り組むことができているのがいいのだとは思います。

当日はKorthagenが開発した8つの質問を使ったリフレクションのやり方についてご紹介しましたが、これをお読みになって、”そういえば”と思い出された方、いま試しに何かの場面をとりあげてリフレクションを試してみませんか?

当日は3名で質問をしてもらいながら進めましたが、一人の時でも自問自答によって(少し大変ですが)進めることももちろん可能です。

さて、この記事の本題ですが、当日のワークショップの最中に、「なぜ振り返りをするのか」の文脈の中で「過去に起きたことを変えることはできない」という旨のことを申し上げたかと思います。このことについて、補足も含めてもう少しここに記しておこうと思います。

日本でリフレクションに取り組むと、「反省モード」になりやすく、そのために本質的な諸相へのアプローチがしにくくなっているのではないかと言われています。ちなみに、「反省モードにならないためのリフレクション」をテーマにしたワークショップをREFLECT後援の形で11月13日に行います。ご興味がある方は是非ご参加ください。

反省モード、から少し話を進めると、たとえば、反省しなければならないあることが起きた時に、それは「悪いことが起きた」のではなく、起きたことに対して、私たちが「悪いことであるという価値をつけた」と考えてみるとどのように考えられるだろうか、ということなのです。その起きたことが、誰の目から見ても悪いことであることもあるでしょうし、あるいは、いわゆる「賛否両論」なのかもしれません。リフレクションの営みの特徴の一つは、いずれの場合であっても、この「価値」に対してアプローチをすることです。なぜ私(たち)は、この起きたことに対して「悪いことである」というように考えたのか、それはどういう規準(基準)からなのだろうか、というように考えてみようというわけです。そして、こう書いている私自身もリフレクションしながら時折困惑するのは、この「悪いこととした規準は一体どこから来たのか」という点です。

これに今すぐ決着をつけることは困難ではありますが、この「悪いこととした規準が”外からもたらされたものである”場合」には、ALACTモデルでいうところの2番から4番へのジャンプが起きやすいという印象を持っています。本来であれば、外からやってきた価値と自分自身が本来保持しているものとの葛藤が生まれるはずなのですが、それはちょっと置いといて、その外からやってきた価値としては、どのようなことが望まれていたのだろうか、という視点から解決策を見出そうとするからです。とくに、”じゃあ”どうすればよかったのかという問いによってその困惑が表出されます。そこには、8つの質問でいう「あなたは何を望んでいたのか」の答えが欠落しています。反省モードが本質的な諸相へのアプローチを妨げているのだとしたら、一つの原因はここにあるのではないかと考えられます。

少し長く、そしてややこしく書いてしまいました。次の記事で、もうすこしこのことについて嚙み砕きつつ、REFLECT後援企画についても少し触れてみたいと思います。